やせおとろえた1000匹のヒツジを村にすてて、南の島へにげてきたヒツジ飼いのおじいさんは、海岸で数匹のヒツジに草を食べさせていました。
草を食べていたのは、村からおじいさんに会いにきたヒツジの家族です。
村にのこされたほとんどのヒツジたちは、自分がだまされていたことにも気づかないまま、飢えと寒さにたおれていきました。ほかのみんなが、飢え死にしそうになってもおじいさんのお話をききたがっていたので、ヒツジの家族も、自分たちがだまされていたことに気がつかなかったのです。
遠い南の島まで、おじいさんに会いにやってきたヒツジの家族は、広野(こうや)にぽつんと建った一軒家(いっけんや)に泊めてもらい、天にものぼる気分になっていました。自分たちだけが、そんけいするおじいさんから、とくべつなヒツジのようにあつかわれたことが、うれしくてたまらなかったのです。一軒家の建つ、ぺんぺん草もはえない荒れた土地が、ヒツジの家族の目には楽園(らくえん)のようにうつりました。
ヒツジの家族は、おじいさんに、たくさんのおくりものをしました。自分たちのからだをつつんでいた毛を売り、つくったわずかなお金も、おじいさんにぜんぶあげました。
「ありがとう、ヒツジさん。未開拓地(フロンティア)の1号(ワン)倉庫(そうこ)にしまってあるカブも、もうすぐ市場(いちば)で売れるようになるんだ。いま、すぐにカブを売りたいとさわぐやつらは、みんなバカな犯罪者(はんざいしゃ)だ。そんなやつらのカブは、売れないようにしてやる。わたしを信じてくれるあなたたちは利口なんだよ。わたしは、みんなのためにがんばっているんだ。それを妨害(ぼうがい)するやつはゆるさない」
胸をはっていうおじいさんをみて、ヒツジの家族は、ますますおじいさんをそんけいしました。
おじいさんは、米の国でネズミを使っておおもうけしたことがあります。だまされる者は、なんどでもだまされることを知っていました。ヒツジの家族に笑顔をみせながら、おなかのなかでは、あくどいたくらみをしていました。
「もらうものをもらったから、てきとうなことをいって、ヒツジをさっさと村へおいかえそう。いや、まてよ。このヒツジたちは、羊毛もお金もなくなったけど、ふとらせてから肉屋に売ればいい。そうすれば、いいお金になるにちがいない。うん、それはいいかんがえだ。エサなら、海岸にタダでいっぱいはえている」
こうしてヒツジの家族は、村へはかえらず、おじいさんに飼ってもらうことになったのでした。
あたたかい南の島でそだった草をおなかいっぱいたべて、ヒツジの家族はしあわせいっぱいです。おじいさんは、ヒツジがふとるのをたのしみにしながら、波もないおだやかな海をながめていました。
「ヒツジを飼うよりも、船をつかって商売をするほうが、もうかりそうだな」
お金もうけのアイデアがうかんだおじいさんは、ヒツジの家族をうり、そのお金でコーヒーの豆をかって、船につんで海に出ました。
ところが、すぐにはげしい嵐がおこりました。船がしずみかけたので、積み荷のコーヒーの豆をぜんぶ海にすて、空の船でなんとかたすかりました。
いのちはたすかりましたが、おじいさんは無一文(むいちもん)です。村から、もってにげてきたお金はとっくに、ぜいたくをして使いはたしていました。一軒家の建ったひろい土地も、抵当(ていとう)にいれて、たくさんのお金をかりていました。島は、米の国の領土(りょうど)です。飢饉(ききん)のせいで土地は高い値ではうれず、うっても、おじいさんには借金しかのこらなかったのです。
船がしずんでから、だいぶたったある日、身なりのいい紳士(しんし)が海辺にやってきました。
「ああ、なんとおだやかな、いい海だろう」
海をながめていた紳士のクツをみてから、おじいさんがいいました。
「そうでしょう、おだやかな、いい海でしょう。この海なら、船はぜったいにしずみません。わたしは、船でコーヒーの豆をはこぶ商売をかんがえているんです。ぜったいに、もうかります。どうです、わたしに投資(とうし)してみませんか」
おしまい
このお話は、イソップ物語の「ヒツジ飼いと海」を下敷きにしています。オリジナルのお話は、音声でお聴きください。
亜姫の朗読☆イソップ童話「ヒツジ飼いと海」
http://dl.caspeee.jp/a/ak/aki/akihime/k/k05Ev9RIMc/k05Ev9RIMc.N.1.mp3.mp3
原話は、不幸なできごとが、人間にとってよい戒めになる、ということを教えています。しかし、なんどおなじめにあっても、懲りない者もいる、というのが今回のお話の教訓です。